2011年7月31日日曜日

詩人のMさん 大きく深く

このブログに何度も登場していただいている、詩人のMさんは、芭蕉のような漂白の心を持ち、ソクラテスのような 高潔な魂を持った 人間です。

 現在、自己の魂深くに沈潜をはじめ、しばらくブログ登場をお休みすることになりました。しかし、皆様との心の連帯、特に、苦しみ、悩む人々への慈しみの心は続いております。

なぜなら、彼自身深い傷を負った、いわゆる弱者の心も持ち合わせる、強き者であるからです。

またの登場を祈念いたします!!


昨日  英国王のスピーチという映画を見てまいりました。同業者の登場で、それはそれは 興味深いものでした。

ある意味、人を助けるのは、真の友情であると思いました。

友情を壊す邪悪な心、それが蔓延するこの社会で、人々とともに在り続けるには、自己の中に潜む 邪悪な心を見つめ、高めてゆくことにしか
ありません。もし、その営みを怠れば、邪悪なものの意志に引き寄せられてゆくことでしょう。

この世に在りて、真に人とつながるために、ひそやかに働きかける邪悪なものと決別しなければなりません。

我が心に平安を。そして、この激動の世にあって、大震災被害の皆様、
苦難を背負う人たちにも、心よりの平安がおとづれることを願っております。

2011年7月29日金曜日

吃音を逆手にとるー川村透さんの生き方

第3回ことばカフェのお客様の一人、川村透さんは、吃音コンプレックスを逆手にとって、現在、堂々と講演活動、ビジネスに明るく、楽しく邁進する若手ビジネスマンです。

  川村さんの著書の一つに「なぜ逃げた犬は追ってはいけないのか」があります。そのプロローグから・・・

  
  たとえば僕は、ずっとどもりコンプレックスに悩み続けてきました。そのせいで、自分に自信がもてずにいました。小さいときはからかわれ、いじめられたりしました。
  社会人になっても、会社で電話をとったときに会社名が言えずに笑われたり。また、どもって口がへの字に曲がってしまうのを見られまいと、伏し目がちに話すのがクセになってしまい、女性とのお付き合いもうまくいかない・・・・・散々な状況でした。
  「これさえなかったら・・・・」僕はずっとそう思っていました。


  しかし、7年勤めた外資系コンサルテイング会社を辞め、講演の仕事をしようと思ったときのこと。僕には自分を売っていく術がなにもなかった。そこで思いついたのが、自分のコンプレックスを利用すること
だったのです。

  「どもりを乗り越えて全国で講演」
 このキャッチコピーで、僕はようやく、自分を売っていくことができた。まさに逆転の発想です。
この発想は、僕の人生を変えました。どもりだったことが自分の個性と
なり、武器となったのですから。はじめて自分を好きになれたのです。

「そうか、どんなことが起きても、それをプラスにする”もののみかた”を見つければいいんだ!」

 これに気付いてから、僕はいっさい現実に振り回されなくなりました。
 お客様を怒らせてしまっても、
 講演の依頼が一時期パッタリと途絶えても、
 一日にふたつの失業を経験しても、
 すべていいことに変えることができるようになりました。

 つまり、何が起きるかは問題じゃない。
 起きたことにどう意味をつけるか、それこそが自分の人生を
   決めるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

川村さんの著書をめくると、
    コンプレックスは
      資格や学歴よりつかえる
 というショッキングな章がありました。その中には、

   いじめられ、笑われ、からかわれ・・・
   コンプレックスは最高のプロフィールだ
   講演で号泣の大失態
   欠点はオープンにすると消える

など読みたくなるような目次が並んでおりました。

 その先も読みたくなるような項目満載

  自分に都合よく考えるーー被害者になるのをやめる、自分を
    大きく扱う、自分をアピールするコツは、自分をアピール
    しないこと

  常識って間違っている!
    高飛車になるな?
    プロに任せておけば安心?
    自信には根拠や経験が必要?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全く私は杓子定規の常識人だったな、と川村さんのご本を読んで思いました。変った体験は人一倍しているつもりです。辛いことも、苦しいことも、それはそれは、涙流るるほどありました。

 でもそこから学んだことは?

  やっぱり、真面目、健全、お利口、がいいな。ははは、それでも
 天に登ったり、地にもぐったりとそれなりに人生深めているつもり
 だけど、川村さんにはかなわない。何故だろう?

 これが次回までの 私の課題です。
  では、川村さんに会いに、ことばカフェへ どうぞ!!!

      申し込み:hayasakakikuko@gmail.com


  

2011年7月28日木曜日

第3回ことばカフェへ向けて、

第3回ことばカフェは、

   8月27日(土)午後2~  (拡大カフェとして行います)

    出席者に、森川弘文博士(医療福祉経営学)
            森川経営コンサルテイング事務所 代表
         川村透 川村透事務所代表 英会話スクールYEC
              代表

      のお二人がおります。お二人は成人してもなお、吃音で苦しまれていましたが、自力で克服され、現在、いきいきわくわく、ゆうゆうと人生を楽しんでおられます。お二方が何故、どのように吃音を克服されたか、知りたいところです。

参加ご希望の方は、メールにてご連絡ください。
     hayasakakikuko@gmail.com

企画者早坂の現在の心境です。

  いたらなきは いたらな
きまま 恥さらし
   折り合いつけて 生きてゆかなん

  いたらなき人々とともに いたらなき仕事をなせる
   我を許せり

  天の声 地の声ともに 我にあり
   そしる人あれ 我一人行く   

  つながりの 心もちつつ我ひとり
    心の底に 一人在る我

2011年7月22日金曜日

私の歩み  経歴補足

早坂菊子の歩み  経歴補足

 私と言語障害の関わりに関連する恩師たちのお名前を挙げ、今ここに在る
ことに感謝申し上げます。

 なお、懐かしき方々、もしお元気ならご連絡下さい。

早稲田大学文学部 故大槻健名誉教授(哲学、教育学)
東京大学医学部  故鈴木昌樹助教授(学習障害、言語障害)
帝京大学医学部  田中美郷名誉教授(聴覚・言語障害)
筑波大学心身障害学系  内須川洸名誉教授(言語障害、吃音)
ノースウェスタン大学  故H.グレゴリー博士(吃音)
東海大学医学部  猪俣丈二教授(精神医学)

     に師事する。

また、この方々の他にも多くの師、友人、学生たちに恵まれ、ここに
在ることに深く感謝申し上げます。

若葉陽子先生、大橋佳子先生、中西靖子先生、千葉靖子先生、星啓子先生、渡邊倭文子先生、  純粋な愛と友情を与え続けてくださったことに深く感謝申し上げます。

多くの 学び舎につどった仲間たち、支えてくれてありがとう。

多くの夢を乗せて、わが相談室は出発します。

             (続く)

多くの学び舎に集った仲間たち、

2011年7月20日水曜日

私とことば ことばの世界にとらわれて

 私が言語聴覚士  昔で言うST(speech therapist) アメリカでは、スピーチ&ラングェジ パソロジスト になろうと思ったのは、もう35年
以上前になる。私が住んでいた東京都多摩市の団地のすぐそばに、重症心身障害児(者)施設 島田療育園があった。そこのこどもたちは、様々は障害のため、殆どすべてといってよいが、ことばを発することが出来なかった。
 中には、アペルト症候群のため、口蓋列があっても当時それを適切に手術して、言語訓練にまわす流れがまだ十分には出来ていなかった。重度の自閉症や、測定不能の知的障害、運動障害、行動障害、視覚障害、聴覚障害を合併した、重いこどもたちが、教育不能ということで、施設に預けられていた。当時、島田療育園では、こうしたこどもたちへのかかわりを療育と言っていた。医療の療と保育の育である。
 こうした関わりは、主に生活習慣、排泄や食事の訓練に向けられ、人と人とのやりとりや、興味、関心を引き出し、関わりの力を育てる、いわゆるコミュニケーション指導は殆ど行われていなかった。
  その中でも、もっと小さい時から、豊かなコミュニケーション環境においてやれば、おそらく発語、ことばを使ってのコミュニケーション
が可能だったのではないかと思わせる子どもが何人かいた。
  とても残念だった。なんとかしたかった。この子のことばを聴きたいーそう思った。それが、言語聴覚士への道につながったのである。
 こどもたちのお絵かきや音楽などのアートの世界ではなく、ことばの世界に興味を抱いたのは、私にとってことば、ことばの世界がとても大きなものだったからであろう。
  ことばとこころ、私はこころに浮かぶ想念すべてをことばだ正確に、誤りなく表現したかった。それが、人に誤解されない、自分の心を伝える武器であると子ども心に感じていたようである。
 それは、おそらく、自分が誤解されている、という感覚、自分の思いが伝わらないという苦しい感覚を小さい頃から、強く抱いていたからであろう。
 そして、この思いはっもう一方で私に学者への道に進ませた大きな
原動力となった。ことばによって正しく、正確に表現する、沢山の語彙を駆使し、沢山のレトリックを用い、自分を意のままに表現する能力。それへのこだわりが私を大学の教師へと導いた真の動機であろう。
 人は劣等感の補償として、勉学するとも言われる。私はことばの表現者たらんとするこだわりが私を勉学へと駆り立てた。だが、よく考えると自分は人から理解されないものという 深い寂しさが私にあったのかもしれない。そうだとしたら、やはり劣等感の補償であろうか。
 
 私のことばへのやや異常とも思われるとらわれ、ときにこんなことも書いてみたい。なぜなら、ことばへのこだわりという点で、私もやはり
一種のことばの障害者であるのかもしれない という思いもあるからである。

  (つづく)

2011年7月18日月曜日

再度ことばカフェに向けて

吃音者とそうでない人の違い

 そんなこと 考えておりました。昨日 成人の吃音の方の治療をいたしました。そこで、一つおしえられました。

よく言われることですが、本当だな と実感しました。それは、吃音者は
すべて(或いは多く) 吃音をもとにして、この世を この世のできごとを検索し、考え  感じ  行動する人なんだな  ということです。

たとえば ある宗教の信者  その人はその教義をベースにして ものごとを考え 判断し  行動するでしょう。その人は自分の心を神 仏
と一致させようと努力するでしょう。

吃音者にとって 吃音とは あたかも 自分をしばり、操作する
ベースとなるもの  あたかも神みたいな存在  自分がえらんだのではないいのに。  そんな気がしました。

そうではありませんよ。吃音はあなたの心、脳の働きのごく一部。
吃音は あなたが、操作するもの、出来るもの。あなたの心を吃音の恐れ、おびえからとき放し、あるがままの心で生きられれば。

その一つのヒント。それは、例えば電話。電話でどもるかもしれない。
いや、ひょっとするとどもらないかもしれない。その不確実性。
これが吃音の本体。いつもどもると決まっていれば ことはたやすいのに、ときに電話でどもらないときもある。つまり、本当には予期できない。だから、予期不安がでてくる。どもるかもしれない・・という。

電話にでるのが苦手なら、そして特に身体が疲れている時、寝不足の時
など コンデイションが悪いとき、そんなときは どもってあたりまえ。どもってなにが悪いのでしょう。

そして、どもるのを前提で電話する。電話にでる。だってどもるのは自然なことだから。(続く) 

ことばカフェ 再度そして また

さきほどのことばカフェ  いろいろミスがあってごめんなさい。

電話にでる。そしてブロック。ことばがでない。そこで、吃音軽減の技術
登場!pull out,cancellation. こうしたスキルは、吃音の予期不安がある中で使っても効果はありません。自分と吃音の関係、一種のマインドコントロール、思い込み から脱して初めて  種々のスキルが効力を発揮すると思うのです。

そんなことも ことばカフェでお話ししたい。

また、私の治療教室では 吃音の軽減スキルとともに、吃音と良い関係を作る方法、そして、涙君さよなら、ではなく、吃音君さよなら、と
別れる方法をお教えします。

悪女の深情けではないのですから、大キライなのに、いつまでも仲良くする 関係はやめましょう。

うん  そう悪いやつではない と思いながら、ほどほどにお付き合い
する  そんなこんなで、そのうち どうでもいい奴になってゆきますよ。

思い返せば そう悪い奴でもなかったかなあ。とも。

どうぞ、ことばカフェへ。そして わが治療・相談室へ。

生きることに楽になる。そんなお話をいたしましょう!

2011年7月17日日曜日

ことばカフェによせて

ブログをご覧の皆様、 ことばカフェ 少し中身が難しいとの意見もチラホラ、それは今参加している人たちの個性で、ことばカフェは限定されるものではありません。どんなレベルでも、どんな話でもOK!

次々回には、吃音で長く苦しみ、自然に完治された、方の話も聞けるかと
思います。彼は、なおるのに、3度の転機があったといいます。

要するに、吃音にかまわなくなる、吃音にとらわれなくなる、ありのままでいる、そんなことが、気付いてみれば、自分の吃音からの別れであった、と話されていました。

とらわれないこと、あるがままで生きること、

これは吃音に限らす、生きることすべてそうでありたいですね。

私たち一人一人が、あるがままで生きられる社会、そんな社会になると
いいですね。それにはどうしたら良いのか、まず、わたし、そして
あなた が 一枚衣を脱ぐことですか。

風のように生きよう。光のように生きよう。人の目に留まらず、そこに
働きとしてあるようなー

障がいを持った人も持たない人も、あるがまま生きられますように!

2011年7月8日金曜日

第2回ことばカフェを開催します。

第2回ことばカフェを 7月23日(土)2時から4時に開催します。

場所は、多摩市永山 ベルブ永山4階 ビジネススクエア多摩ラウンジです。
京王線、小田急線 永山駅 徒歩3分です。


ことばやことばのハンデイ、吃音などの諸問題をざっくばらんに話しあい、
学びあう会です。

特別レクチャーとして、先回参加した M氏の「詩とことば、吃音とその時間性
について」と題する話があります。

自由に話し、自由にレクチャーしあいながら、人と話す楽しさを味わって頂きたい
と思っています。

ブログに発言をのせて欲しくない方はむろんのせません。

プライバシーは最大限尊重いたします。

**参加ご希望の方は、メールにてお名前、メールアドレス等連絡先を
お知らせ下さい。

参加費は、2000円です。

メールアドレス:hayasakakikuko@gmail.com

2011年7月4日月曜日

吃音治療・相談室を開設しています。

皆様  早坂吃音ワールドの一番の柱は、治療・相談室です。そのコンセプトを以下に
記します。

ようこそ  早坂吃音治療・相談室へ!!

私は、心を導くカウンセラーではありません。

私は、ことばを正すセラピストではありません

私は、ことばを通して 人と人の心をつなぐ
こころ と ことば  のセラピスト  です

ことば を通して
知識、経験、思いを分かち合う
心とことばのセラピスト です

語ることの喜び、分かち合うことの喜びを知れば
この世に、ことば の障がい者は
一人もいなくなります

ことばを楽しむために、この教室を開きました。

Join  Us  !!!


教室は、成人(中学生以上)と幼児、学童に分かれ、それぞれ目標、方法が
異なります。また、一人、一人 異なる 個性的存在ですから、一人、一人
に合った個別プログラムを組みます。

基本的なルーティンワークをお知りになりたい方は、お名前、知りたい理由を
メールにてお知らせいただければ、個別にお返事いたします。この教室で
どのようなことがなされているのか、ぜひ知っていただきたく思います。

治療・相談は、原則として、1時間15分  5000円です。
入会金として、30,000円頂きます。これは、終生一回限りです。

私は、広島大学を58歳の時、長い病の結果退官しました。そして、この
教室を開くことになりました。

まだまだ若いともいえますが、くたびれている(?)ところもあります。
そのため、本当に吃音の問題と取り組みたい方、真摯に向き合って
いる方とともに、仕事をしたいと思っています。その為の、料金設定
であることもまた ご諒解下さい。

いわゆる巷で流行る民間療法ではありません。正規の教育、研究
暦のある専門家として仕事をしています。

どうぞ安心して、門をたたいて下さい。歓迎いたします。

メールアドレス:  hayasakakikuko@gmail.com

2011年7月2日土曜日

お知らせ  吃音専門家養成講座開催します!

吃音に関心のある皆様へ、  

吃音の診断・治療に関する知識、方法を系統的に学べる講座を
開催いたします。言語聴覚士、教員、その他関心のある方は
どなたでも。

Basic Course:  年間10回通しで、30、000円
1回目 8月26日(金)6:30~9:00
京王線永山駅 徒歩3分 ベルブ永山4階
ビジネススクエア多摩 ラウンジ

Advance Course:  .年間10回通しで50,000円
Basic Course 修了者
英語の文献を多少読める方
本年度は開講しません。


連絡先:  メール; hayasakakikuko@gmail.com

                    電話;090-3803-3524

手紙; 206-0025  東京都多摩市永山1-5  ベルブ永山403
早坂吃音治療・相談室

第1回ことばカフェ 続きの続き まだまだ続きます!

続きの続きをはじめます。今回は、話の展開です。何が語られたのか
皆様 どのように思われるでしょうか?


自己紹介

Aさん 言語聴覚士暦30年  ここには吃音について勉強に来た。
仕事の対象は、幼児(ことばの発達)と、成人(脳血管障害)。
吃音については、正直分からない。親がこどもの吃音に
ついて誤解しているところがある。親のせいではないことを
説明し、親子の関わりについて説明しているが、特に自分の
吃音に気付き始めた子どもたちに どう接してよいかわかりません。

Oさん  24歳の吃音で困っている人。もの心つく前に早坂Tのところで
治療を受けた。しかし、吃音が今に至るまである。吃音を意識
したのが中学2~3年。それまでは、そうした意識(自意識)が
なかった。中学の終わり頃、話すことが困難だということに
気付いてから話さなくなった。

人と接する時、99%聞き手に徹する。そういう役割をとってきた。
友人はいるが、聞き手に徹した。自分のことは話さずに終わった。

大学卒業後、就職活動時、面接で、人に自分のことを話せない
ことに愕然とした。何回面接しても慣れない。このことはどもり
ということだけの問題ではないのかも。このことに関して、 少し
でも手がかりがあれば、変ることがあれば、と思っている。

M氏  文筆活動をしている。詩を書いている。今まで感情に任せてしゃべって
傷つきあう経験をしてきた。今、ゆっくりと、考えをまとめながら
しゃべるように努めている。そういう風にしゃべろうとすると口ごもったり、
思ったことをしゃべれなくなってきている。こうしたことは、吃音と
関係があるのか。

幼児期に母親から どもりの真似をするとどもりになりますよ と
言われ続けてきた。もしかしたら そういう傾向が自分に
あったのかもしれない。

自分のことばは聞き苦しいところがあるかもしれないけれど
我慢してください。なんとなく聞いている人のストレスを感知
するところがあります。

Oさん  他人の緊張が分かると 自分がさらにどもりますね。

M氏   まわりがハラハラしているのを見ると 余計にでない。

Aさん  どうしたの?という表情がいや。
ところで、就職の時 どもり と言うと不利になりますか?

Oさん  面接官が実際どう思うかはわかりません。だから、どもりだと
言った方がいいのか 不安です。

友達にも自分がどもりだと言わない。言う依然に気づかれない
ようにするので、あまりばれていない。たぶん 人としゃべらない
のが、どもりのせいだとは 人は知らない(と思う)。

家族以外に言ったことがありません。

Aさん  では 言うのはハードルが高いね。

Oさん  僕はプライドが高いので、相手に知られたくない。

Mさん  カミングアウトする心境?

Oさん  そう。友達がいなくて本ばかり読んでいた。自己主張が出来ない。
社会に対して 疑わしい気持ちを持っている。もういい という
気持ち。

べらべら自分のことばかりしゃべる人ばかり 社会から求め
られている。そういう人たちは ものごとを考えているように
思えない。中学生的思考かな(自分が)。なんかもうあきらめて
しまった。それからずるずるときて、面接は1回も通ったこと
がない。マスコミ 出版社はむずかしい。

公務員試験を受けてみようと思い、予備校に通って勉強
しています。

フリートーク


Q:AさんからOさんへ
小学校の時、吃音があってもきづかなかったのか、それとも
なかったのか。
Oさん 小学校の間もどもっていた。知ってはいたが、恥ずかしいとも思わなかった。
からかう友達もいなかったので、気にせず話していた。小学校の頃は、
天心爛漫に話していた。小学校1~2年の頃、先生に「言い方がきつい」
と言われた。

Q:AさんからMさんへ
感情的になった時、どもりますか?

Mさん 感情的になった時はどもりません。感情を抑えると ことばが出てこない。
口ごもる。最初の音が止まります。

Q:AさんからMさんへ
それって今までになかたのか?

Mさん 意識していなかったのかもしれない。吃音への恐怖心が強かった。
(母親に言われて) 今は(何を?)押さえなくなったので 発語と
いうものを気にしなくなった。

Q:AさんからMさんへ
ことばが出てこなくても 平気ということ?

Mさん かざりの部分は 少々吃音が出てもほおっておく。

Oさん 書き言葉にこだわるので(小説家志望)話す時、「きっちり言わなくては」
という思いがストッパーになっている。まとまらないうちに言って
いいのかという不安。これは吃音に関係があるのだろうか。

Aさん そう思うおうになったのは いつから?


(少し飛んで)

Oさん  人に自分のことを言わない。まあ 言っては失礼かなと。

Mさん  それはストレスたまらない?

Oさん  たまります。

Oさん  家以外のところで いい人になろうとしている。人へのあいづちや
質問はとても疲れる。人に嫌われるのが怖い。親に(悪いと思い
つつも)あたってしまう。そういう自分がいや。どうしようもない感じ。

Mさん  相手のことを考えてあげる。これはひとつの才能でしょう!!
自分の場合は書くことで、ストレスが減った。日記も書いていた。
書くことで、自分をある程度 正常にしていた。

Oさん  僕も書くことはある。大学は文学部。高校のときから 将来は
小説家になりたいと思っていた。でも不精で ・・・。
ちゃんと書かなくちゃと思うのだけど。思いのままに書けばいい?

Mさん しゃべらなくなった最大の理由は、自分の中に「ためたい」--
ダム湖のように ためたい。頭の中で客観視というフィルター
を通す。検証しながら書く。そういう訓練をしながら、創作性を
高めます。たまらないと 書けないのです。

Q:OさんからAさんへ
30年間言語聴覚士をやって 吃音だけをやっていたの?

Aさん  聴覚はしていないけれど、その他はいろいろ。
言語聴覚士ーー昔はSTと言ったーーになろうと思ったのは、子ども
の頃身体がとても弱かったからです。病院生活が長かった。子ども
にやさしい看護婦さんか 医者になりたかった。

当時 STのことを聞いた。口蓋裂の術後の言語訓練をやれば、と
言われた。私は子どもの治療をしたいとある先生に言ったところ、
子どもの勉強をしたかったら、大人の勉強をしなさいと言われた。

それで、韮山や伊沢の病院の失語症患者さんの勉強をした。そこには、
日本中から患者さんが来ていた。その頃、STの就職口がなく、内須川
先生の恩師にあたる人から、紹介され、埼玉に来て子どもの治療を
するようになりました。当時は「STいりませんか」と売り込みに行く時代。
STという言葉すら知られていなかった。

こうした中で 自分を説明しなくてはいけなくて どもった。他人には
あがり症と思われていた。

Oさんのことばに共感します。自分のことをしゃべる時、どもりますね。

埼玉の小児保健センターでに 吃音の子どもが来ていました。遊びながら
子どもの発達を促してゆく方法をとっていました。内須川先生の本をよみましたが、
よく分からない。先生自身 よくわからない とおっしゃっていました。

なんだか治療に来る親御さんをだましている気がして・・・。ごまかし、ごまかし
やってきました。

Oさん  自分のことばを自分で分析してみますと、あ 行が言えません。言いづらい
言葉を避けていると、だんだんと言いたいことと違うことを言ってしまします。
そうするうちにあきらめてしゃべらなくなりました。

Mさん  たたみ のように重なることばが言いづらい。リズムをつけてしゃべります。
苦労をしました。助走もつけました。

Oさん  就職の時名前が言えない。名前ですから、置き換えが出来ません。
また、電話が苦手です。出版社でアルバイトをしましたが、電話をとるのが
恐怖でした緊張していましたが、吃音があるとは言いませんでした。

Aさん  大ぜいの前で話す時、ことば 声が出ませんでした。そういう時、「私は
こういう場面だとどもるのです」と皆に言いました。皆は「そうなのか」と
安心した表情をします。その表情を見ると 安心してしゃべれます。

 Mさん  出版社は狭き門です。大手はコネが殆どです。コネの中で試験して
いいのを取るシステム。

Oさん  大手はじめ30社近く受けましたが 全滅しました。

Mさん  今は出版不況ですしね。

Oさん  30社でも絞った方です。普通の人は100社くらい受けます。

Aさん  もったいないね。(良い人材なのに ということ )

Mさん Aさん  カミングアウトためしてみたら?

Oさん うーん

(話題 変る)

Oさん 自分の住んでいるところは 毎日強制的に山歩きしているようなものです。

(気持ちを変えるために 山歩きでもしてみたら?という進めに答えて)

Aさん ところで どんな本が好き?

Oさん 文学、昔の小説  日本では、夏目漱石、海外では、ドストエフスキー。

Aさん 出版社でどんな仕事がしたいの?

Oさん 編集がした。アルバイトでアシスタントをやったが、大変な仕事だと分かった。
自分の脆弱な神経で耐えられるか。ちょっと考えた。やりがいのある仕事
だと思う。著者との打ち合わせなど 特に。

Aさん 困ったことありましたか?

Oさん  基本的にはパソコンに向かっての仕事だけど、電話が嫌でした。
人と話たい。誰かと会話したい。吃音だから話せない という
のではなく。

Aさん  あなたは よく しゃべるわね。

Mさん  全然問題ないわ。

Aさん  (どもりだと)言ってごらん。楽になるから。

Mさん  編集者はおもしろい仕事ですしね。


まとめ として

Mさん  吃音をコンプレックスと感じさせるものは、世間。世間がそうしている。
吃音者は吃音を特性にしたら良い。

僕は吃音と脳の機能との関係を知りたい。また 心、ことば を深める
ことが大切で、吃音はある意味 どうでも良いのではないだろうか。

Oさん  今日は感覚的に 良くしゃべれた。自分は吃音をハンデイとして、切り離したい
ものと思いこんでいた。自分を形づくっているものとして、自分を知る手段
として 吃音を見做してみたい。

吃音を本当になおしたいのか?を知る必要がある。確固たる自分を持って
いること。吃音がなくなっても 周囲との関係を作っている自分というものに
今日 気付けた。

さて 次回 何をしたいか。

Aさん  あっけらかんと育ったら こういう深い人にならなかったのでは。
私もドストエフスキー、夏目漱石が好き。

吃音がなおってしまったら、つまんないよ。

こおこに来てお話するのがおもしろかった。加藤文太郎が好き
彼は明治の登山家。

次回はMさんの話が聞きたい。

**そういうことで、次回  7月23日(土)2時から  Mさんのレクチャーも
ありますよ。テーマは「詩とことば」です。お楽しみに!!

では、また 来月 !  投稿待っています!

2011年7月1日金曜日

第1回ことばカフェ  開催レポート  続き

第1回ことばカフェ  開催レポートの続きです。

ことばカフェのレポートの最初に、この時間のトピック発言をご紹介いたしましょう。

吃音学の専門家を自認する私としては、実に考えさせられる言葉でした。

参加した詩人の言葉!
吃音者は、心がとても重たいのですね。深める心の持ち主だと感じました。

吃音を持つあなた は 自分の人生に重く取り組んでいるんだなあ。

吃音をなおして 軽く あけっらかんと生きる必要があるのだろうか。


参加した吃音者の言葉!
長く吃音とともに生きてきたので、もしなおったら、アイデンテイテイの危機
に陥るのではないか、それが不安

つまり、吃音があってもなくても 変らぬ自己 というものを 治療過程の中
で作ってゆかなくてはいけないのでは、 と早坂は思いました。

さらに、金沢大学の小林宏明准教授は、自分の経験をこう語ってくれました。

僕は、25歳の頃、そうか どもっても 他にいいとこあるからいいや と
思えるようになった。それから、吃音をそんなに気にしなくなりました。
でも 僕は 自分が吃音者であると思っています。そう思っても それは
否定的な意味合いはない。

そんなことを語りながら、唇をちょっと震わす 懐かしい仕草をしていました。
それは、筑波大学の研究室の皆に愛された ボビーの変らぬ癖でした。

(続く)

第1回ことばカフェ(C・C) 開催しました  

第1回ことばカフェ(C・C) 開催しました。 去る6月25日(土)午後2時から4時すぎまで、
多摩市永山 ベルブ永山4階  ビジネススクエア多摩 ラウンジにおいて、ことば と
こころを語る 集まりがもたれました。参加は自由で今回は以下の方たちが集まりました。


参加者:  M氏; 詩人、ことば 吃音 に関心が深い。
Aさん:言語聴覚士 30年のキャリアを持つ現役ばりばり。
O氏: 長く吃音で悩んでいる。早坂とは23年ぶりの再会。
早坂: わくわく どきどき の 吃音知りたい人間

まだまだ沢山の参加を期待しています!カフェ 先端おもしろレクチャー付きで
2千円頂戴いたします。

次回は、7月23日(土) 2時~4時  ベルブ永山 4階 です。
原則として 毎月第4土曜日開催。

9月より、多摩市NPOセンターにて、Artで遊ぼうーーコミュニケーションが苦手な
こどもたちへ--という活動をArt多摩さんとともに開きます。
第1、第3土曜日 10時から3時まで。  近く公開します。